長尾のまつり               


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山車を「だし」と呼ぶようになったのはいつ頃からだろうか、以前は皆「おくるま」とよんでいた。
自分など、かなり大きくなるまで「山車」ではなく「御車」だと思っていた。
今、周りで「おくるま」と呼ぶ人はほとんどいない。自分も「だし」と言っている。でもやっぱり「おくるま」の方がしっくりくる。
山車には、神様が降臨鎮座していられるのだから、やっぱり尊敬を込めて「おくるま」って呼びたい。

 
そんな「山車」が集い、他組には負けてなるものかとばかりに若衆が技を競いあい、
その技が決まったときには子供みたいに手をたたいて喜び合う。
無事に鞘へ納まったときには泣く者もいる。皆が笑っている。
それが「まつり」だ。

日本中に「まつり」は何万とあるだろう。その中で思いつくのは祇園祭、高山祭り、秩父夜祭、岸和田祭等だろうか。
どうしても山車を曳く祭りになってしまう。
自分の肌に染みついている「まつり」はすなわち「山車を曳く」ことで、担ぐのは違うのだ。
人数では遠く及ばない担ぐ祭りはイッパイあります。でも血が騒がない。
やっぱり、「曳かなければ」アカンのです。
あちらさんにすれば「曳き廻しのなにが燃えるんじゃ」ってところだろう。
それで良いのだと思う。
それが「まつり」であり、「まつり心」だと思う。

そして共通することは、「まつりは見るもんじゃない、やるモノだ!」

 

ここはそんな「まつりは山車を曳いてナンボ!」と思いこんでいる、長尾で育った我々の祭りに対する勝手な思いで作ってます。
あくまでも勝手な言い分です。アホカ!って思うようなことも多いと思います。ご容赦ください。
では、はじめます。


========== 運  行 =========

長尾の山車は走ります。角を曲がったら走る!直線でも走る!とにかくよく走ります。それも全力疾走で!
走らなければ長尾のまつりではないのです。その早さは知多半島随一だと自負しております。
いや、知多半島以外の山車まつりと競争しても負けないつもりです。
山車を曳くまつりは岸和田などにもあります。あちらさんもたいしたものです。
しかし、高さ5mを超え、重さ3~4トンもあるモノを引っ張って大の大人が全力で走る。
こんな祭りは長尾だけじゃないでしょうか。何故そんなにムキになって走るんだ? 長尾だから。
これしか答えようがないのです。
梶切って曲がって走って、また曲がって所定位置にイッパツで決めなければ非難の嵐!  決めれば大喜び!

それだけのことなんです、それだけのことに緊張し、アドレナリンが出まくり、皆の団結心に灯がつくのです。

残念ながら、山車そのものの勝負では他の地域の山車に負けているところが多いかな・・・
それを補うにはこれ!走ること!

誰かスピードガンで一度速さを測ってくれないかなア


では、運行に関するこだわりです。

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その1:角を曲がるときは、走る!

山車が90度方向転換するような角(かど)は、一旦停まり、囃子を変え、気合いを入れて走る!


武雄神社曳き込み


武雄神社曳き出し


武雄神社曳き出し

あっちこっちで走りますが、一番の見せ場は武雄神社での曳き込み・曳き出しです。
特に、本祭りの曳き出し!
ギャラリーが多い、境内の広いところから山車の幅1.2倍くらいしかない狭い道へ、全力で走って、梶切って曲がって、観客から見えなくなるまで停まらない!
曲がった先は左が建家、右が高さ5mを超える槙の木の壁。もオ最高の環境!

ここだけは何年経験しても緊張感ハンパないし、とにかく気合い入りまくります!


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その2:走る囃子は「車切り」限定

これから走ろうとするときには、停止して、囃子を「車切り」に替えて、4回程度競り込んだところで大太鼓の連打があります。
そこにタイミングを合わせて拍子木が鳴ります。
若い衆も含め、皆このタイミングがわかっています。拍子木も少し前に「行くぞ!」って手を挙げます。
あとはその時を待つだけです。

「車切り」という囃子は実に良くできた曲です。テンポが徐々に速くなっていくのです。
その間に気持ちが盛り上がっていって、拍子木の合図ではじかれたように走り出すのです。


以前は「しゃんぎり」と言っていましたが、いつの頃からか「しゃぎり」と呼ぶようになりました。どちらが正しいのでしょうか

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その3:上り坂の囃子は「七変がえし」
    下り坂の囃子は「矢車くずし」
運行する場合、ここではこの囃子しかダメという曲が有ります。
下門の場合、武雄神社北の上り坂は「七変かえし」、そして坂を下るときは「矢車くずし」がそれです。
「矢車くずし」という曲は、下門にしかない囃子です。大好きです。

囃子は優雅に「矢車くずし」。山車前は必死で押さえます

後方には反動綱以外に胴締めした綱も見えます。

上がりきりました。

武雄神社北坂上げ。

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山車・曳き廻しのあれこれ


山車提灯の付け方。

  ・山車の前後は竹竿を使用して取り付ける。
     前後方向に付ける提灯は、長さ2m程度の竹竿を使用します。
     先端部に提灯のヒモを巻き付け、付け根は山車の高欄に差し込みます。
     竹竿に付けた提灯は、前後左右に何ともいえない揺れ方をします。
     特に交差点の角を勢いよく曲がるときなどは、また味があります。
     提灯が曲がる方向と逆向きへ揃って振られる絵は何ともいえません。
     左右は、ヒモをフック等にかけることによって取り付けます。

 
 
 前梶に4人入る
  ・前梶を絞った綱と、壇箱との空間に4人が入る。
    この空間に4人もの若者が入って声を張り上げて盛り上げている、
     そんな光景が他に有るでしょうか?自分は知りません。
    ここには人がいない、居ても梶棒の上に乗って盛り上げている。
     または、せいぜい2人程度なのがほとんど。
    何故にこのような形になったかはわかりません。
    ここにも「長尾のまつり」独自の慣習が息づいています。
    ここは窮屈でありますが、祭り盛り上げの最前線なのであります。
    しかも、原則25歳の厄年の者しか入れません。 

 
前梶は騒ぐ以外何もしない
  ・騒いで盛り上げること。それだけが仕事です。
   危ない場所だとお思いでしょうが、案外そうでは有りません。
かえって元綱の曳き手の方が危ないくらいです。
   山車が走るときは、上に飛びます。まともに走ると、台輪に足が当たって痛いのです。 
梶棒には乗らない。
曳き綱は踏まない、またがない、地面に直接おろさない。

清祓い時に、降神の儀により山車に降り立ち、解体時に昇神の儀に
よって天に帰るまで、山車には神様が乗っておいでになります。
その御車に土足で上がること及び一体となっている曳き綱を土足
で踏むこと、直接地面におろすことは慎まなければならないのです。

従って、踏切などの一次待機、途中での休憩いずれの場合も、綱を
手から離すときは、山車の前にゴザを敷き、その上に綱を巻いておく、
   もしくは梶棒に巻きます。ほんの少しの時間なら、肩に担ぎます。

見物の人が、横切る場合は、自転車などであっても綱を持ち上げ、
下を通ってもらいます。




=========== 後梶の担ぎ方 ===========
知多型(半田型とも)といわれる山車は愛知県内に100輌を超える数が存在している。
そしてその曳き廻しは各山車組それぞれにおいて綿々と受け継がれ今日に至っている。
その長い歴史の中、各組別々の曳き廻しルールが出来てきた。
そんな独自の方法の一つに、山車が方向を変える際の「後ろ梶」の担ぎ方がある。
つまり梶を切るときに後楫の楫方人は頭を梶棒の上に出すか、下につっこむかである。

長尾の山車は全てこの型。「頭を梶棒の下につっこみ、肩で押し上げて梶を切る」

 
====================  ほかの地区の担ぎ方を比較してみましょう。  ==================
ーーーーーーーーー 上に出す派 ーーーーーーーーー ーーーーーーーーー 下につっこむ派 ーーーーーーーーー 
 
美浜町・河和
 
 
 半田市・乙川
 
半田市・亀崎

 阿久比町・宮津

美浜町・上野間

常滑市・常滑
 
常滑市・小鈴谷

この他
坂井など

 半田市・板山

この他
布土、富貴、上半田、下半田、成岩、大谷など

まあ、こんな具合でございます。この違いがなぜ生まれたのか私には全くわかりません。
頭を梶棒の下へつっこむ方法しか経験したことのない私には、上に出した場合の梶の切れ方は想像できません。
というより「それで切れるの?」って感じです。

でもそれぞれの方法で伝統はキチンと存在しているのです。
それでよいのでしょう。

 
■■■■■■■■■   もののついでに前楫の違いも少し並べてみます。  ■■■■■■■■■
 
前楫も後ろ楫と同じように頭を上に出して、楫を切っています。(河和)

 
こちらも同じ。前楫もしっかり仕事しています。(亀崎)

 
2名ほどで地味に・・(下半田)








 
前楫の人間そのものがいない!(乙川)
 
下門です。前楫には25才の若者4名が入ります。騒ぐだけ、あとはほぼ何もしません。
2日間でのどがつぶれます。


このように同じ型の山車を曳いているのに、楫方の動作だけでも実に多様です。

それぞれの地域がそれぞれの方法で精一杯楽しんでいる
祭りっていいなア・
(お詫び:このコーナーで使用した下門以外の写真は全て「尾張の山車まつり」より勝手に拝借しました。お詫びと共にお礼申し上げます。) 



長尾山車6台の中で「下門・八幡車」のみの特徴



下門の山車だけ「八枚虹梁(はちまいこうりょう)」がある

   (八枚虹梁とは、水引幕の上、反動綱の白い先が見えている部分)
   長尾には全部で6台の山車があるが、下門以外の5台には「梁」しかない。
     つまり、前から後ろまで1枚の梁なのだ。
   八枚虹梁の場合、繋ぎ部分には獅子頭の彫り物が付く。
     他の組は、全く違う彫り物が付いている。
   下門のような八枚虹梁の山車の方が古いらしい(確認してません)。
  <<上の写真で3台を比べてみてください。真ん中が「下門組」の山車です。>>


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