した も ぐみ
はち まん しゃ
愛知県知多郡武豊町下門。旧尾州長尾村下門組に伝わる典型的な知多型(半田型とも)の山車です。
大正12年に上半田北組より購入。初代彫常の手による多数の彫り物が添えられました。
ここでは私達の区に伝わるそんな山車について紹介させていただきます。
名前の由来 地元下門区に古くから祀られている「八幡社」より 建造年 正確な資料はなく「不詳」。 但し、前壇の部材に「安政六年(1859年)」の墨書が あることから、150年以上前に建造されたと推測される。 大正12年に上半田北組より購入 寸法 高さ:5.5m、幅:2.2m、長さ:5.4m 特徴 典型的な知多型であり、2層構造である。 台輪は内輪式で、狭い路地を曳き廻すのに有利なようになっ ている。 |
壇 箱 | 八岐大蛇(やまたのおろち) | 作者:初代彫常 | 制作:大正12年 |
速須佐之男命。奥に櫛名田比売 |
八岐大蛇 |
右側(アシナヅチとテナヅチ夫婦) |
左側(岩に砕ける浪) |
速須佐之男命(スサノオノミコト)の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)伝説 |
速須佐之男命(スサノオノミコト)は神話時代の神。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は第12代景行天皇の皇子です。よく勘違いされます。 スサノオノミコトは、天照大神(アマテラスオオミカミ)の弟神ですが、乱暴ばかりしていたので下界に追われます。 スサノオは出雲の国肥の河上の鳥髪(トリカミ)に降り立った。そこで出逢ったのが嘆き悲しんでいるアシナヅチとテナヅチ夫婦と 娘のクシナダヒメでした。娘がヤマタノオロチに食べられてしまうという事情を聞き、スサノオは濃い酒をオロチに飲ませ、 オロチが酔って寝ているところを斬り殺してしまいました。その時オロチの尻尾より出てきたのが 「草薙(クサナギ)の剣」です。この刀は天照大神に献上されました。 この剣はその後日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東国征伐に行くときに授かり、 相模の国で危機にあったとき周囲の草をこの剣でなぎ払い助かったといわれています。 その地がいまの「焼津」です。 |
前山懸魚 | 費長房(ひちょうぼう) | 作者:初代彫常 | 制作:大正12年 |
前山蟇股 | 唐子遊び(からこあそび) | 作者:不詳 | 制作:不詳 |
蹴込 | 老松に鳩(おいまつにはと) | 作者:榊原冬花 | 制作:昭和59年 |
脇障子 | 神武東征(じんむとうせい) | 作者:初代彫常 | 制作:大正12年 |
幕
水引幕 | 濃緑色に「飛鷺」の刺繍 | 制作:大正12年、昭和60年 | |
大 幕 | 緋羅紗地 | 制作:大正12年、平成24年 | |
追い幕 | 緋羅紗地に「八幡車」の刺繍 | 制作:大正末期、平成元年、平成24年 |
購入した際に付属していた旧水引幕 (現在は新しいものに変わっており、大切に保管されております) |
旧追い幕(H元年からH23年) これ以前は無地の緋羅紗 |
前 壇 修 理 その1
大正12年に購入して以来長年曳きまわされてきた山車ですが、かつてはかなり手荒な扱いをされた時期がありました。
台輪にはカナヅチで叩いたの跡があったり、壇箱には剥がれた板を直した釘の頭がそのまま見えていたり。
かくいう私も前楫に入っていたときは脱いだ法被を彫り物の間に突っ込み、それを強く引っ張って取り出していました。
きっと何本か八岐大蛇のヒゲ(?)を折ったことと思います。
今でこそ「山車は大事にせにゃいかん。二度と作れんぞ!」なんて言っていますが・・・・
そんな過去を受け今では大事にされ修理・補修もずいぶんされてきています。
しかし、経年劣化も含め確実に傷んできているのは確かです。
費用と見比べながら、計画的な補修(修理)を進めている最中ですが、今回前壇を大修理いたしました。
その記録です。
修理内容は、彫り物以外かなりの部位が新品になりました。
平成24年と30年の二度にわたって実施していますが、一括して紹介します。
最初は平成24年
黒柿に変わった斗栱(トキョウ) |
取り外した彫り物の取り付け中(施工:マツシマ建築さん) |
彫り物取り付け完了 |
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慎重に山車に取り付けます。 |
無事設置終了。 |
四本柱等を取り付けます。 |
前壇屋根が乗って完成。 |
壇箱を前壇から外します。広げてみると構成部材の多さに改めてビックリ! 今回も施工はマツシマ建築さん。 |
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この後壇箱はトラックに乗って作業現場へ 。大改装開始です。 5月初旬に取り外し、12月下旬になりました。 |
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そして完成! | |
完成した壇箱 |
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壇箱舞台。ここに「八岐大蛇」が載るのです |
背景には今回金箔を張りました。 |
この後、四本柱を立て、虹梁、屋根を乗せて組み立て完成です。 この修理で、従来歪んでいた前壇周りがきちっとしたことにより 、山車の姿勢が良くなったように見えます。 以上で今回の修理は終わりです。 まだまだ手をかけたいところはありますが、それは次の機会としましょう。 |
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「黒柿(クロカキ)」
「神秘の銘木」といわれます。数百年の樹齢を重ねた柿の古木になると、まれに心材に墨で描いたような黒い紋様がはいるものがある。
このようになった柿の木のことを「黒柿」といいます 。
千三百年の昔より貴重な宝物として大切にされてきました。当時は権力者や富裕層だけのもので民衆の目に触れることはなかったでしょう。
その紋様は様々で、黒柿が出来やすい地域でも柿の木1000本の中より1本しか出ないといわれ、驚くほどまれなものです。
なぜ黒柿になるのかよくわっかていないようです。柿の木に含まれる渋の元「タンニン」という物質が、柿が地中から取り込んだ物質と化学変化
を起こしたとか、柿の木自身が自然災害や人災によって傷が出来たり、過酷な環境を強いられた場合、老木となった自分を守るため、自らが出した
物質によってさらに変化したのではとも考えられています。しかし、現状では科学的な根拠もなく、自然界の神秘となっています。
これが「神秘の銘木」といわれる所以かと思われます。渋柿・甘柿いずれからも出るようです。
外国でも産出しますが、国産とは色調など雰囲気の違いがあるようです。一般的に「黒柿」と呼ぶのは国産品だけです。
(各種NET記事より抜粋・借用)
※参考 7×4×1(cm)の大きさの黒柿ペンダントがYAHOOショッピングで\8,700で販売されています。(2019.03現在)
前 壇 修 理 その2
令和5年3月9日(木)
以前、平成24年と平成30年の2回にわたって前壇の修理を行いました。
「その際まだまだ手をかけたいところはありますが、それは次の機会としましょう。」
今回そのチャンスがやってきました。
国の補助金を利用することにより、まとまった修理が行えることになり、
手をかけたいと思っていたところをほゞ直すことが出来ましたのでここに報告させていただきます。
今回修理完了の姿 |
新造なった各部位 |
部材取付組立て中の「マツシマ建築」の諸氏 |
今回も材料は全て「黒柿」です。
黒柿独特の紋様が何とも言えない「味」を醸し出しています。
まだまだ手をかけたい部分がありますが、予算との問題もあり、
補助金等をうまく使いながら、ボチボチやっていきたいと思っています。
今回前壇がほゞ希望の形になりました。
お披露目は今年4年ぶりに従前の形で行われる春の武雄神社例祭です。
その日が待ち遠しい!